赤坂水産の歴史

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大切な人と寄り添い続けた
赤坂水産の歴史

初代 赤坂 剛男「創造」

赤坂剛男は1927年、9人兄弟の長男として生まれました。親に連れ添われて出かけた漁で並外れた才能を発揮し、真鯛を中心に大漁を重ねました。そして、1953年に赤坂水産を創業し、5tの漁船を6隻持つまでに会社を成長させました。
しかし、誰もが競うように漁をしていた当時、剛男は少しずつ天然の魚が減っていくことを感じます。そこで、これからは自ら資源を作り海と共存していかなければならないと考え、新たにヒラメの養殖を開始しました。
養殖の収入があることで、産卵期や小さな魚しか獲れない時期は思い切って休漁出来るという大きな利点が得られました。この資源管理の取組のおかげで、多くの地域で天然の魚が減り廃業に追い込まれる漁師が増える中、2019年5月16日に92歳でその生涯を終えるまで漁師を続けることが出来ました。

二代目 赤坂 喜太男「実直」

1954年生、地元の高校を卒業後、東京の会社に就職。昭和55年にヒラメ事業を受け継いでから、文字通り毎日ヒラメと向き合いました。
35年間で、朝の見回りをしなかった日は10日もありません。それでも敏感なヒラメの病気には苦しめられます。VHS、スクーチカ症、エドウワジエラ、レンサ球菌症といった病気の数々への対処法は少なく、病気が鎮静化するまでの1か月以上、数百に及ぶ罹患魚を毎日ひたすら取り除きました。
自然も時として牙を向きます。台風により、ヒラメを養殖していた陸上施設ごと半分以上のヒラメが沖に流されました。
また、赤潮の被害により手塩にかけたヒラメの2/3にあたる4万尾が、一夜にして死んだ年もありました。

いつしか喜太男はヒラメを通じて、海そのものと向き合うようになりました。海が汚れぬよう、〆による出荷はしません。
また、社員が全員帰った後残餌やゴミがないか生簀を毎日見回り、海に流れる前に取り除きました。さらに、1t近くの水質改善剤を20年以上自主的に近海に散布しています。
海と向き合い続けた結果、ヒラメの養殖業者が次々と廃業する中、気が付けば飼育数、出荷数ともに愛媛県最大のヒラメ養殖業者となっていました。

喜太男は取引先に対してもひたすら実直に向き合いました。赤坂水産では、自社で養殖した魚を生きたまま遠方の消費市場に運搬し、直接取引しています。
20年前は、赤坂水産のように活魚を運搬していた養殖業者も多くありました。しかし複雑化するニーズの中で、多くの養殖業者が、指定のサイズをいつでも出荷できる、という体制の維持が困難となりました。そのため、ほとんどの養殖業者が自社直送体制を放棄し、販売を物流業者に委ねました。販売を委託した場合、流通の過程で混ざってしまう魚の品質にこだわる必要はなく、多くの養殖業者はいかに効率よく大きく成長させるかということのみに重点を置き始めました。
しかし、喜太男は取引先の要望に真摯に応えます。台風被害の週も、赤潮被害の次の日も、発注があればその日のうちに納品しました。

そして、養殖していた全てのヒラメを陸上養殖へ切り替えます。
また、取引先の要望に応じて始めた真鯛の生簀を、全て沖合100m以内に設置し、指定のサイズを生簀から直接すくう方法を確立しました。これらにより、天候に左右されずいつでも希望のサイズの魚を出荷できるようにしました。
今日では天候の悪い日は大手流通業者さえ、赤坂水産に出荷を依頼します。これらの取組みにより、赤坂水産は25年以上消費市場との直接取引を続けています。
2014年には広島市から継続的な安定供給を称えられた感謝状を頂きました。
また、消費市場との直接取引を続けることで、実際に魚を調理する人や食す人と密接に関わっていくことが出来ました。
味や品質にこだわることで得られるフィードバックが嬉しく、養殖魚の品質を向上させ続けました。

三代目(予定) 赤坂 竜太郎「試行錯誤」

1985年生まれ。関西の大学で数学を専攻後、東京で保険会社に就職。
赤坂水産に転職して3年後、真鯛の養殖事業を任されます。着任後、決算書から飼料代が真鯛の養殖費用の6割にも及ぶことに注目し、効率的な飼料と給餌方法の選定に着手した。
まず対照比較用に分けた10以上の生簀に対し、飼料、給餌量、給餌間隔、給餌速度等を変えてデータの収集に努めました。当初は大学院や前職で学んだ統計学やITの手法を用いて早期に結果を出すつもりでいました。しかし真鯛の育成期間は約2年間と長く、環境の違いによる影響も大きいため、信頼できるデータの収集は困難を極めました。
また、前年より著しく成長が下回る生簀もあり周囲の評価は散々でした。

それでも、身内同然の先輩社員達は全員対照試験に協力してくれました。それに応えようと文献や大学の勉強会で知識を高めたり、飼料メーカーとの対話を重ねたりして必死に分析しました。真鯛の担当を任されて3年が過ぎたころ、長く辛いデータ収集が実を結び始めました。
まず、成長が悪いと他社では敬遠されていた餌が、水温等の環境によっては良好な成長効率が得られることが分かりました。そして独自に算出した環境変数の値によって飼料を使い分けることより、抜群の成長効率で育成できました。
また、飼料を成長の良かった餌だけに集約することで、養殖尾数が中堅規模にも関わらず、飼料単価が県下最安値クラスで取引できるようになりました。
さらに、ひたむきなデータ分析の姿勢から、飼料メーカーも表示表の派手さではなく、成長効率に自信のある餌を提案してくれるようになりました。
これらの結果から、真鯛事業の営業利益率は担当前の2倍以上に向上しました。

今後の展望

赤坂水産は、先代から育んできた海との共存姿勢、取引先の要望に実直に向き合い高めて来た養殖魚の品質、直送直売による365日即日納品体制を軸に、海へ、取引先へ、消費者へ、「大切な人へ」、最も寄り添う会社であり続けたいと考えています。

鮮度と美味しさに加えて、お客様の健康を保つ「白寿真鯛」。
安全性と身の美しさと日本一の厚さに重点を置いて育てた「横綱ヒラメ」。
これらは全て、消費者と最前線で向き合っている取引先の提案から生まれました。
今後も、進化こそ天然にはなく養殖魚にある最大の価値と捉え、現状に満足することなく取引先と共に品質を高めていきます。

日本最古の縦縞地層として、日本ジオパークにも登録されている須崎海岸の岩群。赤坂水産はそこに最も近い場所に養殖漁場を構えています。4億年も前から存在する地層に、この環境を変えてはならないと日々諭されています。
今後も効率を度外視した入念な漁場整備や水質改善剤の散布により、海と向き合っていきます。

また、赤坂水産の取組のうち最も社会的価値の高いものと考えているものが、赤坂水産ならではの「365日即日納品体制」です。
通常の流通業者が活魚を納品する場合、養殖業者との折衝などにより、発注から2、3日かかります。赤坂水産では、全てのサイズの魚を365日自社のみで出荷できる体制を整えているため、発注があった日の内に自社の活魚運搬車で商品を納品できます。
これにより、発注業者は無駄な在庫を持つ必要がなくなり、食品ロスを大幅に軽減できます。食品ロスを減らすことで、無駄に獲られる魚が減り、三瓶湾だけでなく、日本の海全体が水産資源の溢れる豊かな海を取り戻せます。そう考えながら、日々の仕事に打ち込んでいます。